2013/05/06

奇跡

なんと、青森のリンゴ農家、木村秋則さんの映画がやるんですね!

『奇跡のリンゴ』

これ観たいなー。阿部サダヲさんも好きだしなあ。
予告編を観ただけで泣きそうだ。
あんな風に支え合えることこそが奇跡なのかもね。
よくわからないけれど。



木村さんと同じように語ったら方々から怒られそうですが、
実家にも、リンゴの木があって(ヒメリンゴ)
何もしてないのに毎年秋になるとちゃんと実をつけて
ほんとに自然って尊いですよね。
僕もそんな風に生きていけたらな。
謙虚につつましやかに。

















2013/05/02

腹が立ったら自分にあたれ

腹が立ったら自分にあたれ、悔しかったら自分を磨け、
ということわざがあるんだけど(というのはウソです。村上さんが言ってたのかな)、
少し前からジムに通いはじめました。

「父性」的なものを僕は子どもの頃からずっと嫌っていて、
それは簡単に言えば、男らしさや力強さで、
もう少し難しく言えば、制度的な束縛やある種のシステムだと思っているんだけど、
村上春樹さんの小説にハマったひとつの大きな理由が
父性をテーマにした小説だったからですね。

でも今はそれとは別に、僕はもう少し力を付ける必要があるんじゃないかと思って、
せっせと細マッチョを目指しています()
まあそもそも、筋肉をつけること=硬直したシステム
とはまた違いますけどね。

筋トレと英語の勉強は今まで何度はじめても続かなかったんだけど、
(野球部だったときも筋トレはほんと嫌いだった!)今度はどうだろうな。

こんな人間になりたいとか、あれをやろうとかいろいろ思うんだけど、
結局、それを邪魔するのもいつも自分なんですよねえ。

2013/04/28

たとえ空っぽの容器だとしても

「たとえ君が空っぽの容器だったとしても、それでいいじゃない」 
(中略) 
「もしそうだとしても、君はとても素敵な容器だよ。自分自身が何であるかなんて、そんなこと本当には誰にもわかりはしない。そう思わない? それなら君は、どこまでも美しいかたちの入れ物になればいいんだ。誰かが思わず中に何かを入れたくなるような、しっかり好感の持てる容器に」


連休中、特にやることもないので、
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」2回目を読んでしまいました()

結局のところ、僕だって、多崎つくるくんと同じように、
一人ぼっちになるように運命づけられているのかもしれないですね。
今まで何人かの人たちが(奇跡的にも)僕に好意を持ってくれて、
僕に何かを求めるのだけれど、僕の中にそれをうまく見つけられずに、
あるいは僕がそれを差し出すことができずに、
僕の気持ちを伝えることができなくて、
わかってもらいたいのに、誰にもわかってもらえなくて、
すれ違って、傷ついて、傷つけて、結局は一人になってしまうんです。

正直に、率直に言えば、多崎つくるくんが大学生のときに感じていた気持ちや、
緑川が言っていたことは、よくわかるんです。
こんな気持ちわからない方がよっぽど幸せだと思うけれど
もしあちら側へと続く扉が近くにあったとしたら、
ためらいもなく押し開けていたんじゃないかな。
そう思う場面が今まで何度もありました。
それを積極的に求めるということはさすがにしないですけどね。

僕はかなり歪んだ子ども時代を過ごしてきたから、
前向きに生きるとか、明るく楽しくとか、
情熱を持ってとか、そういう感情がどこかで欠落してしまったんでしょうね。
前頭葉が損傷されてしまって、感情障害なのかもしれないです。
そんなわけないか。
でもそう考えれば、いろんなことの辻褄も合う気もするんだけどな。

高校時代の僕を知ってる人はわかると思うけれど、
あの頃は今にも増してひねくれていたしね。
大人になっても付き合っていられる何人かの特別な友だちができたのは
幸運なことだったけれど、
それ以外のことで言えば、ほんとひどかったと思います。
無口で、傲慢で、無関心で、意固地で、
クラスの誰よりも遅く学校に着いて、
誰よりも早く家に帰っていたんじゃないかな()
あのとき付き合っていた年上の彼女がいなかったら
乗り越えられなかったような気がする(彼女もいつしか去ってしまったけれど)。

巡礼の年。
失われてしまったいくつもの可能性と、もう戻ってくることのない時間。
過去と向き合って、ちゃんと前を向いて歩くことができるのだろうか。
たとえ空っぽだとしても、しっかりと好感の持てる容器に。



心を開くことがいつもいちばん良い結果をもたらす。

2013/04/22

孤独

すみれの存在が失われてしまうと、ぼくの中にいろんなものが見あたらなくなっていることが判明した。まるで潮が引いたあとの海岸から、いくつかの事物が消えてなくなっているみたいに。そこに残されているのは、ぼくにとってもはや正当な意味をなさないいびつで空虚な世界だった。薄暗く冷たい世界だった。ぼくとすみれのあいだに起ったようなことは、その世界ではもう起らないだろう。ぼくにはそれがわかった。
 人にはそれぞれ、あるとくべつな年代にしか手にすることのできないとくべつなものごとがある。それはささやかな炎のようなものだ。注意深く幸運な人はそれを大事に保ち、大きく育て、松明としてかざして生きていくことができる。でもひとたび失われてしまえば、その炎はもう永遠に取り戻せない。ぼくが失ったのはすみれだけではなかった。彼女といっしょに、ぼくはその貴重な炎までをも見失ってしまったのだ。


孤独について書かれた文章はたくさんあるけど、
その中でもぼくはこれがいちばん好きだ。
スプートニクの恋人は、すみれがいなくなってからの物語が
あまり好きじゃなかったんだけど、いま読むとまた良いです。
にんじんが出てくるあたりとか。これも成長と呼ぶのですかね。

「色彩を持たない――」の中にもたくさん良い言葉があったなあ。

2013/04/14

色彩のない世界

村上春樹さんの新刊、読み終えました。
けっこう、かなり、深く心に残りました。
1Q84よりも好きかもしれないな。

小説の内容とか感想とかはひとまず置いておくとして、
色彩を持たないことについて。

あるいは、こんなところでこんなことを書くのは
ふさわしくないのかもしれないけれど、
でもまあせっかくのタイミングなので書いておこうと思う。

僕は色彩を持ってないんです。
そんなこと言ったら私だって持ってないよと思われる方もいるかもしれないけれど、
僕の場合は、メタファーでもなんでもなく、文字通り、ちょっと特別で
色弱なんです。
生まれつき、色がわからないというあれですね。

でもおそらく(そうだと思うんだけど)、程度としては軽い方で、
運転もするし、黄色い服も着るし、赤い靴も履くし、
日常生活を普通に暮らしているぶんには支障はないです
(ときどき服のセンスが悪いことがあるかもしれない、笑)。

ただ、ふと、僕が見てるこの世界は、みんなとは見え方が違うんだなって、
劣等感に似た気持ちになることはありますけどね。
そういう意味では、支障はあったと言えるのかもな。

付き合ってる彼女にもなかなか打ち明けることができなくて、
こんなことを言ったら嫌われるんじゃんないかとか、
離れていってしまうんじゃないかとか、
かと言って、そのことを黙ったままで(例えばだけど)結婚してしまうのも
なんか違うような気もするし、もやもやとした重たく黒いものが心のどこかにあって
堂々巡りでどうしようもないんですよね。
男の2030人に1人は色弱だって言われてるんだけど、
世間一般の色弱の人に対するイメージってどうなんだろうなあ。
考えすぎなのかな。
もちろん、そんなこといつも考えているわけではないし、
結婚に対して関心が持てない(持てなかった)理由もそれだけではないですけどね。
                                                                                                             

まあそれはそれとして、僕くらいになると(自嘲気味に)
小説の中に出てくる「良いニュースと悪いニュース」のことは
『遠い太鼓』にも書いてあったなとか、
あの写真の話は何かのエッセイにも載ってたなとか、
そんなこともわかるようになります。
人生の中で何か有意義なことにこのエネルギーを使えたらいいのにと思うけれど(笑)、
なかなかうまくいかないですね。

ところで、沙羅ってあの沙羅なんですかね。まさか。
どこかにヒントが載ってるのかな。

2013/04/02

新しい季節に想う

桜の木の下で、シートを敷いて、おいしい料理とお酒を楽しむという
いわゆるお花見というのを、この歳になってはじめて経験してきました。
もしかしたら忘れているだけで1回くらいはやったことはあるのかもしれないけど、
ひねくれているのでお花見ってあんまり好きじゃなかったんです。

でも、今年はなんとなく行ってもいいかなと思うようになって、
ようやく人並みに物事を素直に受け止められるようになったのかもしれない(笑)。
料理も1品持ち寄りで、みんなおいしかった。
人を救うのは、気休めの美味い料理ですね。





















今までずっと春という季節もあまり好きじゃなかったんだけど、
この冬がどん底だったせいか、
今年は春の訪れがなんとなく待ち遠しいような
今はそんな気持ちでいられるようになりました。
ほんとうに少しずつですけどね。

人生はビスケットの缶だと思えばいいのよ、と緑も言ってるしね。

「ビスケットの缶にいろんなビスケットがつまってて、
好きなのとあまり好きじゃないのがあるでしょ?
それで先に好きなのどんどん食べちゃうと、
あとあまり好きじゃないのばっかり残るわよね。
私、辛いことがあるといつもそう思うのよ。
今これをやっとくとあとになって楽になるって。人生はビスケットの缶なんだって」


2013/03/27

本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだ

少し前に重力ピエロのことを思い出したら、なんだか読みたくなって、
このところ熱心に読んでいました。
もう何回目かわからないくらい読んでいるんだけど、
やっぱり良かったです。
歳を重ねるごとに感じる部分も少しずつ変わっていきますね。

小説の中に盲目のサックス奏者、ローランド・カークが出てきて、
それがこの小説の大切なメッセージのひとつになっていると思うんだけど、
いつか僕もあんな風に生きていけるかなあ。
重いものを背負いながら、タップを踏むように。

まあ性格的に無理そうな気もしますが
(ローランド・カークみたいにはまずなれない気がする、笑)
でもいつかあんな父親になれたらな。
あの最後のセリフなんて、何度読んでも心に染みます。
(泉水役の)加瀬亮さんの雰囲気も好きですけどね。
まずは、気休めのおいしい料理を食べよう。

2013/03/19

雨の吉祥寺と年下の女の子

建て替えてから、はじめてのいせやに行ってきました。
真新しいいせやは、2階にあるジェイズバーと同じくらい変な感じだったけれど、
いせやは相変わらずのいせやで、楽しい夜でした。

しかも(という接続詞もどうかと思うけれど)、
7歳も年下の女の子とデートをしてきました。
厳密に言えば(言わなくても)、ぜんぜんデートではないんだけど、
でも考えてみれば、年下の女の子と二人でごはんを食べに行くのって初めてでした。
そのうち32歳のデイトリッパーみたいな話も書けるかもしれないですね。




















でもね(でも)、どれだけ楽しい夜を過ごしても、
どれだけおいしいお酒を飲んで酔っ払っても、
ふと、こんなところでいったい何をやってるんだろうって
どうしようもなくやりきれなくて、むなしくて、悲しい気持ちで
胸がいっぱいになったりもしています。

大学の4年間を吉祥寺で過ごして、10年経って、
けっきょくふりだしに戻っただけなんじゃないかと。
ふりだしというかマイナスですね。
成長したことといえば、年下の女の子とごはんを食べに行けるようになったことだけで
たくさんのものを失って、損なって。
これからもきっと、どこにだって行けるし、どこにだって行けないのかもしれない。

2013/03/13

春が2階から落ちてきた

・去年あたりから花粉症の気配がじわじわと忍び寄ってきていて、
今年も目がかゆくなったり、くしゃみが止まらなかったり、
でも僕はまだ自分が花粉症だとは認めてない(意固地だ)というような話をしたら、
そういう人よくいるよねとバカにされたりしています。

早くいろんなことを受け入れて、消化しなきゃと思っているんだけど、
花粉症の事実でさえ、受け入れられないでいます。やれやれ、ですね。


・先日、最近仲良くなった年下の夫婦とごはんを食べに行ったら、
彼の方が「両親の仲が悪くて悩んでいて…」というような話をしはじめて、
そういう人って知らないだけで、案外けっこういるのかもね。
もちろん彼と僕のケースはぜんぜん違うし、
世の中というのはきっと家族の数だけ問題はある、というようなものだと思うけれど。

僕の両親は今はもう仲が良くて、一緒にゴルフに行ったりしてるみたいなんだけど
(でもだからといって昔のことを許せるかと言ったらぜんぜんそんなことはない)、
彼の場合は10年以上も前から今もまだずっと仲が悪くて、
でもとても偉いなと思うのは、彼はなんとかして両親に仲良くなってもらおうと
いろんな努力をしているんです。
親を反面教師にして、彼女をことをほんとうに大事にしているしね。

話の流れで、実は僕も10代の頃にこんなことがあって…という話を二人にしたら、
なんだか少し気持ちが楽になったので、
またそのうち気が向いたらここにも書いてみようかなと思っています。

その事実を知ったときは、冷静だったような気もするけど、
あんまり覚えてないということはけっこうショックも受けていたのかもしれないな。


・『重力ピエロ』の映画を観ながら寝てしまった人を知ってるけれど、
この小説は家族をテーマにした作品の中で、もっとも好きなもののひとつです。
出だしもとてもおしゃれですよね。春が2階から落ちてきた、なんて。

2013/03/10

高校のときからの親友が、2年前から転勤で山梨で働いていたんだけれど、
この春に今度は宮崎に行くことが決まったらしい。
つくづく人生って不思議だなあって思いますね。こういうのを聞くと特に。

僕も、誰も知り合いがいない街でこれからまた新しい生活をはじめるのも
悪くないかなと思うこの頃。